壽昌山祇園寺は、中国の明末清初の時代・17世紀後半、日本へ渡来した東皐心越禅師を開祖(宗派・寺院の創始者)とし、水戸徳川家二代藩主光圀公の創建になる禅林(禅宗の寺院)です。
心越禅師は、明の崇禎十二年(1639)中国の浙江省金華府浦江県に生まれ、八歳で出家し、三十三歳で杭州西湖永福寺の住職となりました。三十九歳の時来日。長崎より京都・大阪を巡錫し大いに禅風を挙用したため、異派僧の讒言にあい、幽閉させられます。
そのことを聞いた光圀公は、禅師を水戸の地に迎え入れました。元禄五年(1692)禅宗壽昌派の総本山として、普山祝国開堂の盛儀を光圀公親臨のもと挙行いたします。元禄八年(1695)に心越禅師が示寂された後、祇園寺は幕府の公許を得て、総本山祇園寺と公称します。末寺三十有余を有する大寺になり、京都南禅寺と同格と心得べき台旨を受けました。爾来二十一代住職まで隆昌をみますが安政五年(1859)不幸にして類焼にあい、堂宇をことごとく焼失しました。
その後、明治の変革期を経て、日本曹洞宗の所轄に入り、堂宇も再建され、心越禅師の古風を慕う禅の一大道場としての昔日の威容を取り戻しています。
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