・四百二十一年の歴史に育まれた、由緒ある寺院です。 ・大変希少価値の高い寺院墓地です。 ・ゆとりの参道で、お年寄りのお参りにも優しい墓苑です。 ・平坦で階段は一切ありません。 ・「信濃町駅」「四谷三丁目駅」より歩いて5分と大変便利な場所に位置しています。 ・日当たりの良い、陽光まぶしい開放的な墓苑は、ご先祖様とのふれあいには最適です。 ・大変お優しく、人情味あふれた、何でもご相談いただけるご住職です。 ・この地区としては大変お安くおもとめやすい金額です。
天正十五年(1587)、深誉利貞上人が長安寺を開いた当初は市谷本村街にあった。太田道灌が江戸城を築城し終え、その周辺が少しずつ整備されていた頃である。明暦二年(1625)に現在の地に移転し、伽藍を構えることになるが、これは家康が江戸城の周りを徳川家の屋敷町として整備する済、長安寺のあった一谷本村町が尾張徳川家の御用地とされたためである。信濃町に移った当時の境内地はおよそ890坪、この時、門前町も一緒に移ることを許されたという。 墓地の入り口にある六地蔵は、六体別々に建っているのではなく、石塔の三面にそれぞれ二体ずつが彫られたものである。江戸末期の弘化二年(1845)、現在の明治記念館付近より出火した青山大火災が、この地蔵の前に来ると火勢を弱め、四谷方面は火災から逃れたという話から「火防地蔵」「火除け地蔵」と呼ばれている。